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東京都板橋区の歴史
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所在地 板橋区東新町2-36-5

 上板橋村役場跡
 江戸時代に川越街道の宿駅になっていた上板橋宿は、現在の弥生町・東山町・東新町・常盤台・南常盤台・桜川・上板橋・大谷口・大谷口上町・大谷口北町・向原・小茂根、そして練馬区の旭丘・小竹町を含む大きな村でした。明治5年(1872)の調査では、戸数405戸、人口は2367人でした。
 明治22年(1889)の町村制施行にあたってあ、江戸時代の村をいくつか合併して新町村が編成されるのが普通でしたが、上板橋は単独で上板橋村となりました。役場は、当初安養院の玄関や境内の建物を使用していましたが、昭和2年(1927)にこの場場所に新庁舎を建築しました。以後、昭和7年(1932)に上板橋村が東京市に併合されるまでの5年間、ここに役場が置かれていました。石柱はその当時に門柱として使われていたものです。
 この役場跡は、平成14年(2002)度に「一町三村役場跡地」として、板橋町役場跡、志村役場跡、赤塚村役場跡とあわせて、板橋区の文化財に登録しました。
 平成15年(2003)3月 板橋区教育委員会







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