東京都板橋区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 板橋区南常盤台2-4-3 天祖神社 御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 当社の創建は不詳であるが、当社は近一帯が豊島氏によって開拓されたことを考えると室町時代には神社の形態をなしていたと思われる。江戸時代には神明社と称し、旧上板橋村の鎮守となっている。 境内にある狛犬や絵馬などの奉納者に川越街道上板橋宿の住人の名が見え、宿場と深い結びつきがあった。 寛政9年(1793)、蜀山人が当社を訪れた時の記録が残っているが、それによると、「神明宮ありて古松老松杉枝を交えて大なる柊もあり宮居のさまもわら葺きにて黒木の鳥居も神さびたり・・・」と書き記している。 明治5年(1872)村社天祖神社と改称し今日にいたっている。境内にある弘化3年(1846)の狛犬に、円形のきずがあるが、これは昭和20年(1945)6月10日の空襲による爆弾の半片の跡。6月10日の空襲を伝える数少ない遺構の一つである。 平成元年(1989)3月 板橋区教育委員会 榛名神社 PR |
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永山
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