東京都板橋区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 板橋区南常盤台2-11 空襲犠牲者供養の地蔵(平安地蔵) 昭和20年(1945)6月10日、午前7時55分より約2時間にわたり、この付近一帯はB29による空襲をうけました。『帝都防空本部情報』の記録によると、死者269名、重傷者86名、建物の全壊260戸、投下爆弾(250キログラム級)116個、罹災者2,467人、罹災世帯498世帯といわれ、実際にはこの数字より多い被害があったようです。 戦後、亡くなった人々の供養と再びこの悲劇を繰り返すまいという誓いのもとに昭和23年(1948)6月10日、地元有志の人々が浄財を集め、おとな、子どもを表す大小の地蔵を造立、平安地蔵と命名しました。太平洋戦争を語る区内では数少ない史跡の一つです。 平成7年(1995)度、板橋区の記念物に登録されました。 平成9年(1997)3月 板橋区教育委員会 PR |
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永山
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男性
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