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東京都板橋区の歴史
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所在地 板橋区小茂根1-5

 根ノ上遺跡
 この根ノ上遺跡緑地の下には遺跡が保存されています。
 このあたりは昭和10年代から遺跡の存在が知られており、古い地名から根ノ上遺跡と呼ばれていました。
 昭和59年(1984)この部分の開発に先立ち発掘調査が実施され、旧石器時代から太平洋戦争時までの遺構や遺物が発見されました。
 とくに今から約1,700年前の弥生時代後期には、周囲に深い堀をめぐらして(環濠)ムラを営んでおり、その変遷の一部がわかるなど多くの成果が得られました。ムラの中には火災にあった家も存在し(火災原因は不明です)、その家の跡(住居跡)には当時の炊事道具や食器など一式が焼け残っており、当時の人々にとっては災難でしたでしょうが、生活状況の一部がよくわかる大変良好な資料となりました。
 調査終了後、板橋区では東京都住宅局の協力を得て遺跡の一部を埋め戻して保存するとともに、発見された住居跡を型取りをして再生復元したり、その真上に花だんや砂場をつくり、位置や大きさを示しました。また図書館内の床にも、堀(環濠)などが発見された位置を色を変えて示してあります。
 この根ノ上遺跡緑地部分と発掘された弥生式土器は、平成9年(1997)度に板橋区の文化財に指定されました。
 平成11年(1999)3月 板橋区教育委員会










所在地 板橋区小茂根5-17

 茂呂遺跡
 通称”オセド山”と呼ばれるこの独立丘陵は、以前から縄文時代早期の土器破片の散布地として知られていました。
 昭和26年(1951)3月、ここを通りかかった一中学生が、この栗原新道を切通し断面の関東ローム層(赤土)中より、黒曜石製の石器と礫群の露出を見つけました。
 この発見がもとで、同年7月明治大学と武蔵野郷土館とが共同で、関東ローム層中に残された旧石器文化(先土器文化・岩宿文化とも呼ばれています)の発掘調査を行いました。その結果「茂呂型ナイフ」と呼ばれる特徴的な石器の存在が明らかになり、日本の旧石器文化研究の端緒となった岩宿遺跡(群馬県)とならび考古学研究史上特筆される成果が得られました。
 昭和44年(1969)、この丘陵の一部は都の史跡(考古)に指定され、さらに昭和60年(1985)には板橋区登録記念物に認定されました。
 平成7年(1995)2月 板橋区教育委員会









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