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東京都板橋区の歴史
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所在地 板橋区大谷口2-8-7

真言宗豊山派
 宝樹山 盛徳院 西光寺

 豊島八十八ヶ所霊場80番札所

 板橋七福神布袋尊

本尊    聖観世音菩薩
開基    覚印  寛永20年(1642)
総本山   長谷寺 奈良県桜井市初瀬
祖師    宗祖   弘法大師(空海)
       中興祖  興教大師(覚鑁)
       派祖   専誉僧正

 御本尊聖観世音菩薩。宗派真言宗豊山派。宝樹山盛徳院と称する。
 古くからこの地にあった一観音堂に大野清右衛門が田畑を寄進し、堂宇を建設したことから始まるという。『新編武蔵風土記』では、開山を承応3年(1654)8月寂の宥音とするが、当寺所蔵の古文書では、開山を慶安4年(1651)6月寂の覚印とうる。いずれにしても、当時が1640年代には開山されていたことは明らかである。
 明治3年(1870)住職広沢賢隆は、境内に一棟を建てて寺子屋を開設し、明治9年(1876)に上板橋学校が開設されるまで近所の子供に教育をおこなった。
 昔話で有名な、しろかき地蔵(石造・高47cm)は、現在は同寺境内に安置されている。同地蔵は、昭和62年(1987)度の板橋区登録有形民俗文化財(信仰)に認定された。
 平成6年(1994)8月 板橋区教育委員会







 西光寺には『大谷口の代かき地蔵』があります。
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所在地 板橋区大谷口2-8-7 (西光寺)

 大谷口の代かき地蔵
 そのむかし、大谷口村に日頃から仏様を深く信仰していた心やさしいお百姓さんがいました。明日は村中あげて一せいに田植えをすることになっていました。お百姓さんは、明日の田植えに間に合うように、汗を流して一しょうけんめい働きました。しかし、あたりがうす暗くなっても、代かきは半分もできていませんでした。お百姓さんは、あぜに立って、もう暗くなってしまった田んぼを眺めながら「ああ困った、明日の田植えをどうしよう・・・」と、大ため息をしていると、どこからともなく若いお坊さんがちかよってきて
「何かお困りのごようすですネ、代かきが終えなかったんですか・・・」と、やさしく話しかけてくださったかと思うと、いずれへか去っていってしまいました。
 一夜あけて、田んぼに来てみると、びっくりしました。さしもの広い田んぼは、きれいに代かきがすまされて、朝日がさんさんと田の面を照らしていました。驚いたお百姓さんは、あたりを見わたすと、田んぼの泥土がてんてんと、田から丘の草原につづいているのに気づきました。泥のあとをたどると、丘の小さなお堂にまでつづいています。お百姓さんは、不思議に思いながら、お堂のとびらを開けてみますと、中に立っていらっしゃる石のお地蔵さんは、腰のあたりまで泥だらけでした。
 お百姓さんは、お地蔵さんが一晩のうちに代をかいてくださったにちがいないと思って涙を流してお礼を申し上げました。お地蔵さんはやさしいお顔をして、お百姓さんをじっと見おろしていました。
 大谷口村の人びとは、それから後、このお地蔵さんを「代かき地蔵尊」とあがめて、あつくお祭りをいたしました。
 さいこうじ








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