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東京都板橋区の歴史
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所在地 板橋区東新町2-30-23

真言宗豊山派
 
 豊山派 武王山 安養院



本 尊   紅頗梨色阿弥陀如来(板橋区文化財指定)



開 基   最明寺殿時頼(北條時頼)鎌倉時代(1250年頃)

中 興   祐淳比丘 宝永元年(1704年)寂



総本山   長谷寺 奈良県桜井市初瀬

祖 師   宗 祖   弘法大師(空海)
       中興祖   興教大師(覚鑁)
       派 祖   専誉僧正

開 宗   真言密教は、インドより中国を経て平安時代に弘法大師により伝えられ、真言宗として広められました。

教え 真言宗は、宇宙の根本原理を説く大日如来の真言を信仰し体得することによって、私たちが本来備わる仏性に目覚め、この身がそのまま仏になれるという、即身成仏の教えと、大日如来の智慧と真理を示した曼荼羅のしそうにより、すべての世界を包括し蜜厳仏国土という思想の社会を築くことをめざしています。

延命大師堂

礼 所   弘法大師豊島88ヶ所霊場 第1番礼所

境 内   梵鐘(国重要美術品)・最明寺殿供養塔・13重塔
       修行大師像・四国88ヶ所御砂踏み霊場


常圓堂

 安養院には『梵鐘』、『修行大師像』、『カヤ』があります。
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所在地 板橋区東新町2-30-23 (安養院)

板橋区登録天然記念物(名木・巨樹・老樹等)
 
安養院のカヤ
     平成6年登録



 樹種、かや(イチイ科)。樹高、約16メートル。目通り、約360センチメートル。根回り、約380センチメートル。樹齢、約300年以上(推定)。
 このカヤは区内に現存するカヤのうち最大のもので、白蛇の住むという言い伝えもある巨木である。
 9月頃には楕円の実をつける。境内にあるため、環境条件にも恵まれ生育状況も良好である。また、この地域のカヤの多くは安養院のカヤの実生を移植したものと言われている。



 平成6年度、板橋区登録文化財の天然記念物(名木・巨樹・老樹等)とした。
    平成8年(1996)3月    板橋区教育委員会

 










所在地 板橋区東新町2-30-23 (安養院)

 四国御砂踏霊場開創修行大師像建立 由来之記

 真言宗の開祖 弘法大師空海は宝亀5年(774年)讃岐国(香川県)に生まれ、承和2年(835年)高野山にて御入定されるまでの62年の間、真言の教えを伝え広め、人々の幸福のために生涯を尽されました。また書道・芸術などにも優れた才能を示し、日本の文化史上にも大きな足跡を残されました。
 弘法大師は、若い頃から全国を修行行脚され、その霊験によって多くの人々に恵みを与えられました。自然の風光と穏やかな気候に恵まれた四国を一巡する88ヶ所霊場もそうした大師の修行の場で、今でも大師の御跡を慕って巡礼するお遍路さんの姿が絶えません。



 ここに当院では弘法大師修行像を建立し、併せて御砂踏み霊場を開創致しました。この修行大師像は彫刻家藤島茂氏の製作によるもので、真理を求め山野を跋渉し、遠く虚空を見据える若き大師さまの修行の姿を表しています。
 また御砂踏み霊場は四国大師霊場の御砂を集めたもので、蓮台の石の墓には88ヶ所の浄砂がそれぞれ収められています。古来、この御砂を踏んでお参りすることは四国の霊場を巡拝することと同じ大きな功徳があると伝えられております。どうぞ皆様の諸願成就、御健勝の為にお参り下さい。
 お参りは、お大師さまの正面より右廻りに一歩一歩蓮台を踏みしめ「南無大師遍照金剛」の御宝号を唱えつつ、合掌礼拝して御廻り下さい。「同行二人」の御心でお大師さまが皆様をあたたかく見守って下さいます。
                  南無大師遍照金剛

    平成3年(1991)4月吉日
                    武王山最明寺安養院
                    第67世和成敬白


所在地 板橋区東新町2-30-23 (安養院)

板橋区登録文化財
 安養院の梵鐘
     昭和59年(1984)登録



 御本尊阿弥陀如来。宗派真言宗豊山派。武王山最明寺と称する。
 創建年代は不明だが、寺伝によると北條時頼がこの地に一宇を建立したことに始まり、寺号の最明寺もこれにちなんだものと言う。「新編式蔵風土記稿」には、正保の頃までは時頼の御影堂や供養塚などがあったと記されている。
 本堂に安置されている紅頗梨阿弥陀如来像は、室町時代の作と言われ、羽を広げた孔雀の背の上にある蓮華座に坐す、類例の少ない仏像である。また、大師堂の釈迦四面像は、武田信玄の守本尊と伝え、厨子内に木片を組み上げて巌山を作り、四体の木造の釈迦像を配して釈迦の誕生から入滅までの姿を表している。
 境内の鐘楼の鐘は、元禄2年(1689)鋳造のものを享和2年(1802)に再鋳されたもので、鐘面を五区に画し、百字真言を梵字で表すもので、昭和24年(1949)に国の重要美術品に指定され、昭和59年(1984)板橋区の登録文化財となった。
  平成7年(1995)2月  板橋区教育委員会


所在地 板橋区東新町2-36-5

 上板橋村役場跡
 江戸時代に川越街道の宿駅になっていた上板橋宿は、現在の弥生町・東山町・東新町・常盤台・南常盤台・桜川・上板橋・大谷口・大谷口上町・大谷口北町・向原・小茂根、そして練馬区の旭丘・小竹町を含む大きな村でした。明治5年(1872)の調査では、戸数405戸、人口は2367人でした。
 明治22年(1889)の町村制施行にあたってあ、江戸時代の村をいくつか合併して新町村が編成されるのが普通でしたが、上板橋は単独で上板橋村となりました。役場は、当初安養院の玄関や境内の建物を使用していましたが、昭和2年(1927)にこの場場所に新庁舎を建築しました。以後、昭和7年(1932)に上板橋村が東京市に併合されるまでの5年間、ここに役場が置かれていました。石柱はその当時に門柱として使われていたものです。
 この役場跡は、平成14年(2002)度に「一町三村役場跡地」として、板橋町役場跡、志村役場跡、赤塚村役場跡とあわせて、板橋区の文化財に登録しました。
 平成15年(2003)3月 板橋区教育委員会









所在地 板橋区東新町2-16

 氷川神社
 ご祭神は須佐之男命です。
 当社は、旧上板橋村字之根の地に鎮座して、古くから崇敬を集めてきました。創建は不明ですが、文政6年(1823)の「上板橋村書上帳」に「一御除地五反四畝歩 当所鎮守氷川宮地但宮・拝殿有之候 一御除地中田壱反八畝拾歩同社免」とあるので、江戸時代にはすでに旧上板橋村の鎮守として当地に鎮座していたと考えられます。
 当社の氏子の範囲は、旧上板橋村の南部に広がり、江古田駅前の浅間神社も当社の境外末社の一つです。なお浅間神社の境内にある富士塚は、昭和54年(1979)に国の重要有形民俗文化財に指定されています。
 当社の境内にある資料館は、この地域一帯が都市化により姿を変えていくなかで、往時の姿を保存するため、有志によって昭和46年(1971)に建設されたものです。収蔵品には、衣食住関係(衣服・炊事用具等)や生業関係(農具・工具等)、社会生活関係(防災用具・信仰関係)等があり、江戸時代から昭和までで千点余に及んでいます。昭和59年(1984)度に一括して板橋区の指定有形民俗文化財となりました。
 平成22年(2010)3月 板橋区教育委員会









 氷川神社には『戦没者之碑』があります。


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