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東京都板橋区の歴史
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所在地 板橋区前野町3

   前野町(くまのちょう)地区の遺跡と前野町熊野北遺跡

 前野町3丁目から5丁目にかけては、泉町24番の区立清水児童遊園部分の湧き水を主な源泉として、現在の首都高速5号線部分を流れていた出井川に沿い、古くから数多くの集落(むら)が営まれていました。
 昭和10年代、前野町を含む志村一帯は関東大震災を契機とした土地区画整理が行われ、遺跡の発見が相次ぎました。特に前野町地域は弥生時代後期から古墳時代前期(今から約1700年前)にかけての集落が数多く発見され、それらから採集された土器は、南関東地方の弥生時代終末の標識型式として「前野町式」と名づけられたため、前野町の地名は広く考古学界に知れわたりました。なお。それたの標識となった土器の多くは前野町4丁目の常楽院に保存されており、東京都指定有形文化財となっています。
 前野町熊野北遺跡は、この案内板を中心に周囲約50~100メートルの広がりをもつ遺跡で、昔の地名(字あざ)「熊野」の北域に位置しているところから名づけられています。平成10年(1998)8月、前野町熊野北遺跡範囲内の前野町3丁目44番におけるニッカン三次ハイツ建設計画に伴い区教育委員会が試掘調査を行なったところ、遺跡が残っていることが確認されたので平成10年(1998)8月から9月にかけて本調査を実施しました。ここは昭和13年(1938)当時工場建設に際し遺跡の存在が確認され、弥生時代後期の集落遺跡前野町遺跡第1地点と呼ばれた場所でもありました。本調査の結果、弥生時代後期の集落は以前の工場建設に伴う整地により残っていませんでしたが、今まで確認されていなかったそれより古い縄文時代後期(今から約3800年前)の住居跡3軒と、煮炊きなどに使用した土器の破片などが数多く発見され、前野町地区の歴史に新たな事実が追加されました。
    平成13年(2001)3月   板橋区教育委員会
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