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東京都板橋区の歴史
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所在地 板橋区志村1-12板橋区小豆沢2-16

   志村一里塚

 江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、慶長9年(1604)2月に諸国の街道に一里塚の設置を命じました。これにより、五間(約9m)四方、高さ一丈(約3m)の塚が江戸日本橋を基点として一里(4km弱)ごとに、道を挟んで2基ずつ築かれました。



 志村の一里塚は、本郷森川宿、板橋宿平尾宿に続く中山道の第3番目の一里塚として築かれたもので、天保元年(1830)の「新編武蔵風土記稿」では「中山道住還の左右にあり」と紹介されています。



 幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治9年(1876)に廃毀を命じた法が下されるに及び多くの一里塚が消滅していきましたが、志村の一里塚が昭和8年(1933)から行なわれた新中山道の工事の際に、周囲に石積みがなされて土砂の流出をふせぐ工事が施されて保全され、現在に至っています。



 今日、現存する一里塚は全国的にも非常に希なもので、都内では北区西ヶ原と志村の2ヵ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡として、大正11年(1922)に国の史跡に指定され、昭和59年(1984)に板橋区の史跡に登録されました。

    平成17年3月    板橋区教育委員会
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