東京都板橋区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 板橋区加賀1-8 (加賀公園) 板橋区は、平成20年(2008)7月9日の金沢市との友好交流都市協定締結を記念し、加賀藩江戸下屋敷の築山にあたる加賀公園に、この記念碑を設置しました。 モデルとしたのは、金沢のシンボルともなっている尾山神社神門第三層のステンドグラスです。 尾山神社 神門 尾山神社は、加賀藩祖前田利家公並びに、その夫人お松の方を奉斎する神社で、二代藩主前田利長公が、慶長4年(1599)12月に金沢城の鬼門にあたる卯辰山麓に、利家公の霊を祀る卯辰八幡社を建立したのが始まりとされています。その後、金沢市の中心部にあたる現在地(石川県金沢市尾山町11番1号)の旧金谷御殿跡に、明治6年(1873)社殿が新設され、神霊を遷座し社名も尾山神社と改められました。 国の重要文化財として指定されている尾山神社の神門は、社殿造営後の明治8年(1975)に建立されました。和漢洋の三様式を混用した異色の門として早くから全国に知られ、兼六園と共に金沢のシンボルともなっています。オランダ人ホルトマンの設計との説もありますが、棟札によると、建築総管は藤田貴知であり、工匠長は四面五色のギヤマン張り(ステンドグラス)で、もとは御神灯が点灯され、その放つ光は金沢の街を照らし、また遠く日本海を航行する帆船の目標とされたものです。なお、第三層目に設置された避雷針は、日本最古のものと言われています。 PR |
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