東京都板橋区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 板橋区仲町44-1 浄土宗 亀鳩山 専称院 地蔵寺 宗派は浄土宗で、亀嶋山地蔵寺専称院と号し、御本尊は阿弥陀如来です。 むかし鎌倉時代の武将豊島清光が行基に七つの地蔵を作らせたという伝説があり、専称院の前身は豊島村(現北区)でそのひとつを祀る地蔵堂でした。 浄土宗の専称院となったのは、宝永年間(1704~1711)に豊島村民臼倉四郎右衛門の要請を受けた祐天上人によって中興され、堂宇の整備が進んでからです。荒川沿いにあったため、寛政12年(1800)水害の溺死者の供養等が建てられるなど、水難者の供養寺としても著名でした。専称院が都市計画道路建設によって豊島から当地に移ったのは昭和12年(1937)ころのことです。 もともと当地には、江戸時代初頭まで乗蓮寺があり、その後も乗蓮寺に付属する香林庵が残っていました。香林庵は明治7年(1874)に区域で初めて公立の小学校が設置された場所ともされています。 平成15年(2003)3月 板橋区教育委員会 所在地 板橋区仲町46-3 轡神社 御祭神 倭建命(やまとたけるのみこと) もと轡権現社と呼ばれていました。名称の由来については、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれています。江戸時代から「百日ぜき」に冷厳がある神として広く信仰を集め、遠方から参拝に来る信者で賑わったといいます。信者は病気の治癒を祈るとともに、当社に奉納されている馬わらじの片方と麻をいただいて帰り、全快すると新しい馬わらじと麻を当社に奉納しました。 社前の道路は、俗に鎌倉街道といわれた古道で、この道が石神井川を渡るところが本来の「板橋」という説もあります。 平成9年(1997)3月 板橋区教育委員会 |
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永山
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